歴下亭の「オモシロイからナルホドまで」

古書店・歴下亭(Amazonマーケットプレイス)を営む「本の虫」のつぶやき。本・雑誌・音楽などなどのこと。

二つの記事の続き

●続きその1

「記憶のなかのパティ・ペイジ」で紹介したコンサートのパンフレット(と呼ぶにはしっかりしすぎていると思うのだが)をヤフオクに出品したみた。ID:n123575326で出品期限はあと5日。興味をお持ちの方は検索してみてください。

●続きその2

諏訪根自子…」の続きだが、またしてもwikipediaからの引用。いつもお世話になります!!

<…1930年秋、来日したエフレム・ジンバリストに紹介されてメンデルスゾーンの協奏曲を演奏して驚嘆させ、1931年朝日新聞に「天才少女」として紹介される。

1932年リサイタルを開き「神童」と呼ばれる。だが1933年、滝が根自子を連れて家出する事件が起こり、新聞は順次郎が根自子に暴力を揮うと書きたてたが、実際は順次郎の浮気による夫婦不和が原因であった。1934年から、生馬の弟の里見弴はこの事件をモデルに長編「荊棘の冠」を発表。…>

ここに出てくる「荊棘の冠」はすぐに入手した。その割には最初の部分からなんか乗らなくて、そのまま中断というか放棄というか。ちなみに根自子が師事したエフレム・ジンバリスト、昔のTVドラマ「サンセット77」出演俳優の父上。多分団塊世代にしか「わっからねえだろ~な」。

もうひとつ挙げた名前、シャリアピンに関しても調べたがこっちは引用なし。そのかわりに『シャリアピン自伝・蚤の歌』をアマゾンで購入。谷川徹三「序に代えて」を感動しつつ読んだはいいが、後が続かない。シャリアピンが書いた「原序」を読んだあたりからもうスロウダウン。遅々として進んでいない。第1部・帝政ロシアはちと重くって、どうも…。

あくまでテーマは「本」。よって上記2冊の表紙画像を載せようと思ったのだが、なんか面倒で。え~~い、このまま公開してしまえ!!

 

 

諏訪根自子という名前の記憶

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◆去年のことだ。↑この記事が新聞に載ったのが9月24日。これを皮切りに(といっても関連性はヴァイオリンだけだが)BSプレミアム五島みどりが日本で行ったツアーのドキュメントが放映され(録画したがいつだったかおぼえていない)、10月4日には堀米ゆず子、有希・マヌエラ・ヤンケ、パトリツィア・コパチンスカヤ原田禎夫チェリスト)そして10月10日には有希・マヌエラ・ヤンケの続報というかたちでヴァイオリニストに関する記事が相次いだ。いずれも小さな記事だったが、政治・経済等にほとんど興味がない自分的には「ラッシュ」に近い状況だった。

諏訪根自子という名前は何歳のころだったか、亡父から何度も聞いた。クラシックに興味のない子どもだったこともあって、歯牙にもかけなかった。いまでも覚えているのは「シャリアピン」という名前と二つだけだ。30歳をすぎてからか、自分もまたクラシックを好んで聴くようになったのは。だが、諏訪根自子の演奏を聴きたいというところまではいかなかった。

◆死亡記事を読んですぐにwikipediaを開くと、沢山のことが連想ゲームのように去来した。まず「あ、まだ生きていたんだ」。次に「父と同世代だった」こと。叔母(父の妹)からの伝聞だと、東京大空襲のあと、周りの家屋が燃え尽きてしまった後も、父の家は火が消えなかった。大量の音楽関係の蔵書が燃え続けたからだという。そんなことも記憶の中から飛び出してきた。

◆自分が誕生する以前の出来事を年長者から聞くのは、とても楽しいことに思えた…という記憶は今でもかすかに残っている。そして、本当に「知りたい」との思いはいつも遅れてやって来て、気づいたときには教えてくれる人はすでにいない。「ああ、あの時耳を傾けていたら…」との後悔は「自分が生きること」のパーツなのか。

岩波書店刊『ベートーヴェン』の帯にこんな一文がある。<英語で書かれ、ドイツ語で出版されたセイヤーの伝記が最初に翻訳されたのが日本語で、しかも40年以上も前のことであったのも、また、ノッテボームの壮大な2巻の『ベートーヴェニアーナ』が日本語以外のどの言語にも翻訳されていないことも、また、アルトゥール・シュナーベルベートーヴェン・ピアノソナタの歴史的な録音が西洋諸国で廃盤になってからも日本だけで入手可能であったのも、どれも偶然のことではなかった…。>

この文章と諏訪根自子の時代と、どれくらいオーバーラップするのかわからない。けれども東洋の小さな島国の、クラシック音楽のレベルがいかに高かった(高い)がわかるような気がする。

◆長い船旅をしなくては外国に行けなかったころ、欧米の音楽家がしばしば日本に立ち寄り、演奏をしたという。そんなステージを父は観ていたのだろうか。叔母も100歳近く、話を聞くどころか会話すら成立しない。

◆ここまで書くのになんと、半年近くもかかってしまった。とりあえず(まただ)くくりを付けて次に移ろう。

 

 

 

りぼんの行方

東武線・西新井の駅からはかなり距離がある。新規に開通した「日暮里・舎人ライナー」の西新井大師西という駅ができてはじめて、交通の便を得た、そんな場所に古本屋「りぼん」がある。正確には「あった」。つい先月まで。

CDとかVTR、雑誌、コミックなんかに混じって、片隅に文庫本や単行本のコーナーがあり、在庫の数は僕の書庫よりも少なかったと思う。レジではいつもおねえちゃんがヒマそうにパソコンをいじっていて、購入してもレシートはくれない。月に一度くらい自転車で訪れたが、僕以外の客の姿を見たことはほとんどない。

が、そこは実は宝の山だったのだ。といっても行けば必ずお宝にめぐり合うわけではないのだが、今までに掘り当てた良品は20冊を優にこえている(正確な記録がないが)。

最も強烈な印象があるのが、園山俊二『国境の二人』だ。

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↑最初に発見したときには2冊、子供向けの絵本のブロックに2冊並んでいた。手にとって見るとマッサラのほぼ新品というか新品そのもの。1冊150円だったか。しばらくして行くと、また同じ場所に今度は3冊あった。全部購入したことは言うまでもない。(本の説明は面倒なので省きます)

あとは飛び出す絵本の英語版『カーマ・ストラ』。リアルな絵なので画像は掲載しないが、こちらはまだ手元にある。『さしがねの実技』なんていう本も、かなりオモシロくてナルホドで、しかもオイシかった。

で、先月の中ごろだったか、クルマで前を通り過ぎたとき、ドアに大きな張り紙がしてあるのに気づいた。次の日自転車で行ってみると中でレジのおねえちゃんともう一人がいて、僕を見ると「たなおろし中です」とひと言。3日後再度行ってみると、「閉店」の張り紙。なんと、棚ごと下ろしてどこかへ行ってしまったのであります。どこかほかの場所に移転したのだろうか(それはない、おそらく)…というのが「りぼんの行方」なのでした。

◆それにしても北千住、浅草、西新井とここ数年の間に<はぐれ古書店>が姿を消している。なんとも寂しい限りだ。グッスン!!

 

記憶のなかのパティ・ペイジ

 

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◆まだ高校1年のときだったと記憶する。知り合ってすぐに意気投合した同じクラスの友人がいた。

あるときその友人が「姉が呼び屋(今で言う外タレを日本に呼ぶ商売→死語?)に勤めていてコンサートとかタダで見られるんだけど行く?」と誘った。AMの夜の番組を粗末なラジオで夢中になって聴き、洋楽の洗礼を受けたてのころだったので、二つ返事で同意した。

◆なにしろ初めて尽くしの、年長者の伴わないコンサートだ。期待と興奮は半端じゃなかった(とおもう)。場所は大手町の産経ホール。学ラン姿で中に入り受付に行くと、友人が姉上と思しき人からチケットとパンフレットを受け取り1部を僕に渡した。そこにあった名前がパティ・ペイジだった。

↓これがそのパンフレット

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 ◆冒頭に載せた死亡記事(2~3カ月前の新聞からのキリヌキ)は、そのあたりのことをかなり具体的に思い起こさせた。が、今に至るまでパティ・ペイジの曲は2曲しか知らないし、自分から聴いたことはない。前から3~4列目の通路側に座っていたので、ステージから降りてきた彼女に握手してもらったことも記憶に生々しく残ってはいるが、残念ながら音楽としての魅力を感じさせるものではなかったようだ。

◆ついでだからそのときのチケット半券も紹介しようとさがしたら、サンケイホールのものが3枚あって、どれがパティ・ペイジのものかわからない。それにしても、今では疎遠になってしまったその時の<友人A>のことが案じられる。パティ・ペイジを介して表面化した「記憶の中の友人A」とタイトルを変えたほうがよさそうだ。

 

勝目梓『牙は折れず』

牙は折れず (徳間文庫)/勝目梓

¥660
Amazon.co.jp


タイトルと帯のキャッチコピーに惹かれて買った一冊。

病院に行く途中の本屋で。

いやというほど待たされるのが予測できたので、家から一冊持っていった。

それが内田 樹の『ためらいの倫理学』。

電車の中で、もっと気軽に読める短編をと思い立ち、コレを選んだ。

ビンゴ!


書影は帯をはずして掲載する、と相場が決まってるから上の書影では帯になんて書いてあるかわからない。

<愛する者のために---男たちの戦いがはじまった.

年寄りを舐めるなよ!>というのが惹句。


7つの短編で構成されており、なかでもよかったのが「骨」という作品。

事件の犯人(老人)が取調室で犯行について語っているのだが、警察官とのやりとりはどこにもなく、すべて犯人の一人称。それも方言で家族や生い立ち、犯行の全貌等々を訥々と語っている。一人称で、つまり独白のかたちをとっていながら、ちょっとした状況の変化や心境などが「訛り」の強い言葉のはしはしに浮かび上がってきて、巧い。


「年寄り」というのが何歳くらいを指すのか知らないが、登場する「年寄り」はすべてアラ古希。作品群に登場する「年寄り」たちは、静かな「老後」を送っていけるハズだった。が、孫、子等愛するものを不条理に奪われ、捨て身の戦いに身を投じる。勝目梓お得意の「復讐譚」老人スペシャルといったところか。


短編はむずかしい---とよくいわれるが、この一冊を読んだ限りでは勝目梓は、そんなことはまったく気にしていないようだ。ちなみに著者も主人公の「年寄り」たちとほぼ同世代。年をとらなければ書けない部分が確実にあるんだろうな、という気がした。文庫オリジナル作品。


オモシロイ度:9

ナルホ度:7



おやおや、おやさい

おやおや、おやさい (幼児絵本シリーズ)

 

言葉遊びは楽しい。お決まりの単純な語呂合わせみたいなのを連発すると「オヤジギャグ」なんて指弾されるそうだが、それでもないよりよっぽどマシだろう。「マジ?」を連発する脳硬直的言語能力の欠如に比べれば、ちょっとウルサイかもしれないがはるかに上等だ。

頭の中にある膨大なコトバ。そのなかの一つの言葉と、何の関連もないもう一つの言葉が、なにかをきっかけに瞬時に結びつく。シュールであり謎に包まれた楽しい世界なのだ。

あるとき仕事場で、数人でテレビを観ていた。ニュース。経緯は忘れたが、女性が痴情のモツレから男性を殺害し、そのイチモツを鍋で煮て食べてしまった…といった内容だった。となりで観ていた男が「ナベサダだな」とひとこと。このときの背筋がぞっとするような感動は今も忘れない。生涯でベスト3に入るひと言だとおもう。

おっと、ついつい道をはずれてしまった。子どもの絵本のことだ。3人の子どもなどにプレゼントした絵本は100冊を下らないが、印象に残ったり今も孫用の本棚にあるものの中から「この1冊」をクローズアップしていきたい。

「おやおや、おやさい」は絵もかわいくてユーモラスで、見るだけでも楽しいが、各ページの下に1行だけ書かれている文章がまた、いい。野菜たちがマラソン大会に参加するという設定なのだが、まず「そらまめ そろって マラソンさ」。次が「にんきものの にんにく きんにく むきむき」とくる。

全部で12本の文だから全部書いても手間は知れてる。でもあとひとつだけ。「かぼちゃの ぼっちゃん かわに ぼちゃん」絵が主体だけども、まだひらがなが読めない孫に何度読んであげたことか。絵の情景を説明するだけでなく、説明だけでもオモシロいイ。特別に「コトバ教育」などと構えるつもりはないが、読み聞かせるほうが楽しんでいる、これが重要な気がする。

絵本大賞だな。個人的に。

『江戸時代のロビンソン』がオモシロイ!!

江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚 (新潮文庫)medium]

 ●新潮文庫『江戸時代のロビンソン』(岩尾龍太郎著)を一気に読んだ。「七つの漂流譚」というサブタイトルが付いている。ロビンソンは、あのデフォーの「ロビンソン・クルーソー」のことだ。なんというジャンルに属する本なのか、というようなことはどうでもいい。とにかく僕的にはとても興味深く、スリリングでもあり、なによりもいわゆる「歴史」本に掲載されている項目の行間を垣間見るような快感すら覚えてしまった。

 

●【オモシロイ度】10【ナルホ度】12。10段階評価なのに12って? ま、いいじゃないですか。それほどフムフムがたくさんあったってことです。とにかく「一気に」がなによりそれを裏付けてくれている。


 
●本題から少し離れてしまうが、この画像には帯がない。帯にどんなことが書かれているかというと、「生き抜くための挑戦と冒険 読むものにでっかい勇気を与えてくれる---椎名 誠」「奇跡の生還を果たした船乗りたちの物語」。

たしかに漂流中、漂着後のサバイバルの記述には鬼気迫るものがある。それが現代仮名使いでなく江戸時代の表記法で書かれていることでより増幅するということもあるかもしれない。鳥島で生還するまで数万羽のあほうどりを殺し、食用に、羽や羽毛を衣服に使用した記録などは想像を絶する。それはそれで冒険譚だったり生き延びるすさまじさを伝えて余りある。

しかし、それだけが前面に押し出されて「船乗りたちの物語」などというキャッチとなることに、少々いや大きな違和感をおぼえる。その辺は読み手によってさまざまな受け取り方があるかもしれないので深追いはしない。(いつでもそう、帯の惹句は飛ばして本編に直接入りましょうね)

仲間が次々に死んでゆくなか、生き延びて生還した「勇者」を待ち構えていたものはなにか。そちらのほうに僕は興味をもつ。時の体制は、生還者がもつ「情報」をけっして開示せず封殺した。航海に関しての、船の構造とか航路、自然環境などの情報、体験者によって教えられる漂流時のノウハウ、漂着してから命を守るためにどうするかといった情報は同じ仕事をする水夫たちに伝わることはないどころか、生還者を軟禁状態にしてその口から情報が洩れることを禁じた、という。

漂流譚もさることながら、その注釈や合い間に書かれているそうした「分析」こそが本書の視点を明確にするものであり、現実の政治や文化、歴史と交錯する見識としてはるかに面白い。

 

●で、古文書の引用部分読解に少々手間取ったものの、この「引用部分」が、慣れてくるとまたなんともいえない。現代文にない味わい、リズム感があるのだ。意味不明もときどき出現するがテキトーにパスしてゴーアヘッド。このへんはもうねばりと想像力の勝負なんだけども、当時(江戸時代)に関して知っている限りの知識を駆使しつつ、イマジネーションを掘り起こし膨らませての読了とあいなった次第。

 

●こういう本に出会ってしまうと、過去の例からして確実に大変なことになる。今まで記憶にあるのは『北差聞略』くらいで、これも読みにくい部分は飛ばして読んだ程度だから、ジャンル的にはほとんど白紙状態。あ、『十五少年…』も本棚にあったような。ま、とにかくこうしたジャンルについての知識はほぼゼロ。それがどうだ、著者の岩尾龍太郎が設定する「問題意識」の穴にはまり込みそうな感じなのだ。<海の論理>と<陸の論理>という展開がとても刺激的ですらある。

 

●まずあとがきにタイトルが挙げられている『漂流』『島抜け』『難風』といった小説群を読破したくなってくる。このあたりまではまあ、実行可能範囲だろう。さらにこの『江戸時代の…』での著者の視座を確認しつつ「ロビンソン・クルーソー」や「ガリバー旅行記」等も読みたくなってしまう。約半年くらいは、読書(読む・買う・借りる)はこれ一色になる。まず間違いなくそうなる。<ニホンオオカミ>のときもしかり、<音楽を聴く>に関しても例外でない。もっとも後のほうはあまりの膨大さに、地下にもぐってしまった感はあるけれども。これは一応自分がコレコレの事項に関してはこういう解釈をする、というある程度の結論めいたものが定着するまで(あるいはイヤになって放棄するまで)ケイゾクするのだから、どうしようもない。「オモシロイ!」というテーマに出会ったことを幸せとするべきなのか?

 

●一部引用する。<>部分。

<「私は酔狂にも二十年間、それら無数の荒唐無稽な「ロビンソン変形譚」を収集・比較・研究してきたのだが、あるとき、海に囲まれた日本列島ゆえに古くから膨大な漂流事例があるはずなのに、それらの事例が我々の祖先の苦難に満ちた偉大な体験としてまったく伝承されておらず、また、それらを素材にした漂流物語が今日でも極めて少ないことに気付き、愕然とした。>

 

<冒険そのものに対する眼差しが今なお冷ややかだ。すぐに、お上や周りから咎めが来る。現代日本は冒険(アドベンチャー)を抑制しながら、ベンチャー・ビジネスだけは奨励する奇妙な二重拘束社会となってしまった。管理詰め込み教育の反省から、ゆとり教育を強制してもサバイバルする力は育たない。自然に発露すべき冒険心の抑圧、冒険物語の不在は、とくに幕藩体制が固まった近世以降きわだつようだ。逆にこの時期こそ、西欧では大航海時代を迎え、海洋冒険を鼓舞する物語が興隆した。彼我の落差はどこに由来するのか。>

 

…といったような部分からはじまり、陽の目を見ないかなりの数の漂流記録及びその写本の存在、そして記録に残らずに海底にねむるその10倍はあろうかと推測できる漂流事例(生還者がいなければ事例は記録できないという意味で)に、注釈を加えながら触れていく。更に引用する…、としたいところなのだが面白かった本の、傍線を引いた部分を引用してブログに載せていてはこちらが持たない。ブログ漂流サバイバーになってしまう。

 

●じかに入力しているため、論旨が行ったり来たりする、同じことをくりかえしたり、同じ言葉を使ったりするなどのザツな部分が目立つかもしれないが、是非お目こぼしを願いたい。本を一冊モノにするわけではなく「早め更新」のブログをやっているのだから、との言い訳はむなしいが、あえてそう言ってしまおう。なによりも「面白い1冊だった」ということと、面白さが僕にとってどのあたりなのか---の片鱗が伝われば十分だと考えたい。

●後日談。北大路欣也主演「漂流」はVHSで観た。映像にするのはかなり困難だったろうナ。小説も2冊読んだがどれもイマイチ。僕の問題意識に抵触する部分があまりにも少なかった。徒労とまでは言わないけど。それよりもネット上で当時の船の構造とかを調べることのほうがはるかにスリリングだった。

*この記事は2009年10月29日にアメブロにアップしたものの加筆修正版です。表現に「時間差」が出てしまっている部分があったら、スルー願います。