歴下亭の「オモシロイからナルホドまで」

古書店・歴下亭(Amazonマーケットプレイス)を営む「本の虫」のつぶやき。本・雑誌・音楽などなどのこと。

日本アウトロー列伝

日本「アウトロー」列伝―昭和・平成 (別冊宝島 (1305))

 思わず手が出てしまった『日本アウトロー列伝』

 ◆コンビニはほとんど「立ち読み」のためにあるという「信念」が一時もろくも崩れ去った。

ラックのほぼ中央に黒地のムック。表紙は阿佐田哲也。パラリとめくるとなんと魅力的な名前がズラリ。

考える間もなくレジへ行ってしまった。その人物に関して何も知らない名前も多数ある。しかし少数ではあるが僕にとって存在感があり、忘れることができない「人物」たちがこうも登場しては、抵抗することは不可能だった。

◆表2には竹中労の言葉。「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」

◆わが敬愛してやまない阿佐田哲也。色川名義は2冊しか読んでいないが、阿佐田哲也が書いたものは80%くらいは読んでいる。「麻雀放浪記」から追悼文まで、この人の文章には行間にある種のやさしさが漂う。僕の机の右手には、ニコチンまみれの阿佐田哲也の写真が貼り付けてあるくらいだ。

野村秋介。リアルタイムでの活動はほとんど知らない。死後さまざまなメディアに載った記事と3冊所有している著書でその人となりや思想を知ることができるのみ。

奥崎謙三。直接の面識はないが、知人経由で著書の編集を手伝ったことがある。出版社はその一種の「狂気」に付き合おうとはせず苦肉の策の末の自費出版だったと記憶している。現在散逸してしまってその本は手元になく、わずか三一書房から出た『ヤマザキ、天皇を撃て!』一冊だけが残って書架に眠っている。

◆波谷守之。「最期の博徒」という肩書きがついている。この名前を知ってからわずか1年余しかたっていない。正延哲士『最後の博徒』という本を偶然入手しなければ、いまでも知らないままだったのは確実だ。その本はどこかの刑務所の蔵書だったらしく、囚人に貸し出す際の「閲覧カード」がはりつけられてあり、借りて読んだ人の名前も記入されていた。そうした「特徴」がなければ購入することもなく、すでに名前すら忘れてしまっていたと思われる。

◆掲載されている人物のほとんどが、すでに鬼籍に入ってしまっている。しかし、流行語としてではなく真の意味での人間の「品格」とはいったいなんなのだろうと、この一冊は問いかけてくる。「品格」は法律用語ではない。時の法律で処罰を受ける「暴力」を行使したか、マスコミに指弾されたか、とは無縁な場所で「品格」は形成されていくと考えるのはまちがいか。どんな組織に属していようがいまいが、「個」として独立したあるものを自らのなかに息づかせていないかぎり、「品格」など夢のまた夢だ、という気がしてならない。

◆3年くらい前に「アメブロ」にアップした記事の一部修正版です。回転の速いコンビニでは、とっくの昔にこの本は消えています。